はなこみち豆知識

念ずれば花開く(児童養護施設の整備の想い)

社会福祉法人 彩の国ふかや福祉会 八須 信治

青年期

福祉施設を決意した発起人 八須茂治夫妻
福祉施設を決意した発起人 八須茂治夫妻

 昭和24年(1949年) 専業農家の長男として生まれ、幼いころから家を継ぐことを教えられ育ちました。ところが、高校生の時、父親から、「ここは市街化区域に組み込まれるので仕事に出てよい」と伝えられ、卒業後、深谷市役所に勤務することになりました。

 中学生の頃は、この地に、周辺の土管・瓦屋さんが職親(※)となって、知的障害者のユートピアを造ろうという話が出されましたが成就できませんでした。これは、後に美里町に創設されました。  

 高校3年のとき、深谷剣友会を組織し、少年剣道教室を始め、子ども達とふれあいました。その中で、問題行動のある子ども達に接したことから、ボランティア活動として、BBS活動(※)を知り、理解者7人を募り、自ら深谷支部を結成、活動を展開しました。

 この活動の中から、児童養護施設の必要性を感じ、施設づくりを決意しました。父親は、当初反対でしたが、都市化等により大きく社会が変化することを察し、「自分でやってみる」と行政手続きを試みましたが、昭和48年のオイルショックで物価が高騰、総工費8000万円、当時の月給(手取り)1万5千円、やむなく断念しました。23歳のときのことです。

壮年期

法人創設当時の理事長夫妻
法人創設当時の理事長夫妻

 50歳の時、年老いた父母を抱え、特別養護老人ホームの整備を計画しました。しかし、県のゴールドプランがあり認められず、介護付き有料老人ホームであれば可能ということが解り、平成15年有限会社公益シルバー企画を設立、整備手続きをしました。総工費5億円すべて自己負担ということで資金めどはついたものの、現役の行政職員として勤務していたため、最後の決断ができず断念しました。

 しかし、施設づくりの願いは払拭することができずにいました。そして、何が必要なのかと考えた末、老人福祉は大切であるが、もっともっと大切なこと。それは、人づくり、次世代育成支援であると、20代の思いが甦って来ました。

平成17年1月、県庁を訪問、思いが伝わり、19年児童養護施設はなこみちを創設しました。20年に勤めていた消防本部を辞めました。

 はなこみちでは、子ども達の支援姿勢として「子育ては、見る・看る・診る・視る・観る心」という理念の下、家庭的な温もりのある支援を目指しています。また施設には、地域交流センターを併設、施設の地域開放に努めると共に、ショートスティ・生活困窮者相談事業として「あんしん市民相談支援センター」・災害時緊急避難場所・ボランティアサークル事務局を併設。行政書士事務所の活動も展開しています。

 はなこみちは、多くの人に支えられ完成しました。私は、次の言葉を大切に生きています。

「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きているということは、その借りを返していくこと。」この言葉を下に、さらなる精進をして参りたい。

※BBS活動とは?

BBSとは、Big Brothers & Sisters movement の略称です。BBSは、悩みを持つ少年・少女たちに、兄や姉のような存在として、「同じ目線」で接し、彼らの成長と、健やかな社会づくりを助ける青年ボランティアです。発祥の国はアメリカで、日本では1947年に始まり、現在では日本全国600の地域で、約6000人のBBS会員が活動しています。


※職親制度とは?

職親(しょくおや)とは、知的障害者を預かり、更生に必要な指導訓練を行う者をいう。また、里親制度の中で、義務教育を終了した後の児童を預かり職業指導を行う保護 受託者のことを職親ということもあったが、2005年の法改正で同制度は廃止された。

花小路遺跡と大沼の地名

 花小路遺跡発掘調査では、旧石器時代の石器、平安時代の掘立柱建物跡五棟、竪穴式住居跡六棟、中世の溝などが確認された。中でも平安時代の遺構は充実しており、廂を持つ建物は特に注目され、炭化米も出土しており、富を蓄えた有力者の居宅であったものと思われます。

 大沼の地名は、かつて利根川が氾濫を繰り返し、沼や沢が造られた地形の名残です。この地は、氾濫の土砂が積った沖積土に恵まれ、深谷を代表する地場産業の土管、瓦づくりが盛んでした。土管づくりは、延宝年間(1673年から1681年)に遡る古い歴史と伝統があります。

 中世には榛澤郡藤田庄に属していました。

 深谷上杉氏の頃は、家臣大沼弾正忠が領し、深谷中学校南の西蔵寺は、大沼氏が開基創建したもので、この寺一帯が大沼館跡と推定され、戦国時代の元亀3年(1572年)に、武田信玄がこの地を攻めた記録があります。

 中世以来の大沼村は、寛永2年(1625年)に東西の両村に分村され、現在に至っています。

平成26年7月   八 須 信 治 撰 文

花小路遺跡と同じ時代の熊野・中宿遺跡(榛沢郡役所跡)
花小路遺跡と同じ時代の熊野・中宿遺跡(榛沢郡役所跡)
大沼焼き元祖の墓(西大沼)
大沼焼き元祖の墓(西大沼)
大沼弾正忠の墓(西蔵寺)
大沼弾正忠の墓(西蔵寺)
田中陶管の煙突(西大沼)
田中陶管の煙突(西大沼)